「賃上げ促進税制」は、従業員の給与を引き上げた企業に対して、その引き上げ額の一部を法人税から直接差し引くことができる、非常にメリットの大きい減税制度です。
現在、この制度には大きく分けて「中小企業向け」「中堅企業向け(従業員2,000人以下)」「大企業(全企業)向け」という3つの枠組み(コース)が用意されています。
一般的に、資本金1億円以下の中小企業や小規模事業者であれば、当然のように「中小企業向け」の制度を選択されるかと思います。
なぜなら、中小企業向けは税額控除率が最大45%と最も高く設定されているからです。
しかし、ここに実務上の大きな盲点があります。
実は、会社の「社員の増減(採用・退職)」や「給与の改定方法」によっては、中小企業であっても、あえて「中堅企業向け」の制度を選択した方が、税金が安くなる(=控除額が大きくなる)ケースが存在するのです。
「えっ、中小企業なのに中堅企業向けの制度を使っていいの?」
「どうして中堅企業向けの方が得になるの?」
今回は、そんな知る人ぞ知る「賃上げ促進税制の選択適用の裏ワザ」について、計算の仕組み、具体的なシミュレーション、実務上の注意点まで、税理士が徹底解説します!
そもそも中小企業が「中堅企業向け」の制度を使ってもいいのか?
まずは制度の根本的なルール(前提条件)から確認していきましょう。
多くの方が「中小企業は中小企業向けしか使えない」と誤解していますが、結論から言うと「中小企業が中堅企業向けや大企業向けの制度を選択して適用することは、法律上まったく問題ありません。」
各コースの対象企業の定義
賃上げ促進税制における各コースの対象者は、以下のように定義されています。
| コース名 | 主な対象企業(要件) | 中小企業は使える? |
| 中小企業向け | 資本金1億円以下の青色申告法人、常時使用する従業員数1,000人以下の個人事業主など | 当然使えます |
| 中堅企業向け | 常時使用する従業員数が2,000人以下の青色申告法人・個人事業主 | 使えます(中小企業も含む) |
| 大企業向け | 青色申告書を提出するすべての法人・個人事業主 | 使えます(中小企業も含む) |
上記の表を見ていただくと分かる通り、中堅企業向けは「従業員2,000人以下」、大企業向けは「全企業」となっています。
つまり、中小企業は全てのコースが使えるのです。
大企業向けと中堅企業向けなら、常に「中堅企業向け」が有利!
ここで「大企業向け」と「中堅企業向け」のどちらを選ぶべきかという疑問が湧きますが、中小企業が選択する場合、基本的には常に「中堅企業向け」の方が有利になります。
理由はシンプルで、中堅企業向けの方が「要件が緩く、かつ税額控除率が高く設定されているから」です。
あえて中堅企業向けより条件の厳しい大企業向けを選ぶメリットは通常ありません。
そのため、中小企業が「中小企業向け以外」を検討する際は、自動的に「中堅企業向け」が筆頭候補となります。
「選択適用」は可能だが「併用」は不可
中小企業は、自社の状況に合わせて「中小企業向け」か「中堅企業向け」のいずれか1つを自由に選択することができます。
ただし、一つの事業年度において「いいとこ取り(併用)」をすることはできません。
「A社員の分は中堅企業向けで計算して、B社員の分は中小企業向けで計算する」といったことは不可能です。
申告する際には、必ずどちらか1つのコースに絞って計算を行う必要があります。
なぜ「中堅企業向け」の方が有利になる場合があるのか?
控除率の「最大値」だけを見れば、中小企業向けが最大45%であるのに対し、中堅企業向けは最大35%となっています。
最大値だけを見れば中小企業向けが勝っているのに、なぜ中堅企業向けを選んだ方が得をするケースがあるのでしょうか?
その理由は、「賃上げが行われたかどうか」を判定するための「対象となる従業員の範囲(分母と分子)」が、コースによって全く異なるからです。
ここが今回のテーマの最も重要なポイントになります。
中小企業向けは「会社全体の給与総額」で判定する
中小企業向けの制度では、賃上げの判定を「雇用者給与等支給額」という指標で行います。
これは、ざっくり言うと「その事業年度に、パートやアルバイト、新入社員、退職した社員も含めた全従業員に支払った給与・賞与の総額」です。
当期に新しく入った人も、途中で辞めた人もすべてひっくるめた「会社全体の給与総額」が、前期と比べてどれだけ増えたかで判定します。
中堅企業向けは「昔からずっといる人の給与総額」で判定する
一方で、中堅企業向けの制度では、賃上げの判定を「継続雇用者給与等支給額」という指標で行います。
これは、「前期も当期も、2期連続でフルに在籍している従業員(おなじみのメンバー)だけで集計した給与・賞与の総額」です。
つまり、「当期に新しく入社した人」や「前期の途中で辞めてしまった人」の給与は、要件の判定(%の計算)から完全に除外されるという特徴があります。
【徹底解剖】中堅企業向けが有利になる「2つの具体例」
では、この「集計対象の違い」によって、具体的にどのような逆転現象が起きるのでしょうか。
よくある2つのシミュレーションパターンを見ていきましょう。
パターン①:会社全体の給与は「微増(1.6%)」だが、既存社員を大幅に賃上げした場合
「中小企業の要件は一応満たすけれど、そこまで大きな減税にならない」という時に、中堅企業向けに切り替えることで逆転が起きるパターンです。
【会社の状況】
- 当期に高給だったベテラン社員が退職し、若手を未経験で採用したため、会社全体の給与総額(雇用者給与)は前期比「1.6%の微増」にとどまった。
- しかし、残ってくれた既存のコアメンバー(継続雇用者)たちの給与は、モチベーションアップのために5.0%の大幅昇給を行った。
この時、それぞれのコースで判定と控除率がどうなるかを見てみましょう。
中小企業向けで計算した場合
会社全体の伸び率が「1.6%」なので、中小企業向けの最低要件(1.5%以上)はクリアしています。しかし、上乗せ要件(2.5%以上)には届きません。
そのため、適用できるのは「通常枠(控除率15%)」のみとなります。
中堅企業向けに切り替えて計算した場合
中堅企業向けでは、退職者や新人の影響を除外した「既存メンバー(継続雇用者)」だけで判定します。
既存メンバーは5.0%昇給しているため、中堅企業向けの要件を大きくクリアします。
中堅企業向けの上乗せ要件(継続雇用者が4%以上増加)を達成できるため、「上乗せ枠(控除率25%〜35% ※他の上乗せ要件含む)」が適用できるようになります。
どちらが有利?
どちらのコースを選んでも、税金から差し引けるベースとなる金額は、共通して「会社全体の給与の増加額」です。
したがって、「同じ給与増加額に対して、中小企業向けの15%をかけるか、中堅企業向けの上乗せ率(25%〜35%)をかけるか」の勝負になり、中堅企業向けを選択した方が多くの減税を受けられることになります。
パターン②:会社全体の給与は増えていない(1.5%未満)が、既存社員の給与は上がっている場合
中小企業向けだと、会社全体の伸び率が1.5%に届かない時点で、税額控除は「0円(一発アウト)」になってしまいます。
【会社の状況】
- 人の入れ替わりや、パートの勤務時間減少などにより、会社全体の給与総額(雇用者給与)は前年比で「1.0%」しか増えなかった。
- ただし、前期からいる正社員たちの給与はしっかり引き上げたため、継続雇用者だけで集計すると前年比「4.5%」の増加になっていた。
- 中小企業向け: 全体の増加率が1.0%なので、基準(1.5%)に届かず適用不可(控除額0円)。
- 中堅企業向け: 継続雇用者の増加率が4.5%なので、中堅企業向けの要件(3%以上)をクリアして適用可能(控除額発生)。
このように、「中小企業向けなら0円だったものが、中堅企業向けを選んだおかげで、全体の増加額(1.0%分)に対してしっかりと税額控除が受けられる」というゼロか百かの逆転劇が起こります。
【数字で見る】どれくらい納税額が変わる?シミュレーション
では、実際の数字を当てはめて、どれくらい会社のキャッシュの残り方が変わるのか試算してみましょう。
先ほどの「パターン①(全体は1.6%増、既存社員は5%増)」のケースで検証します。
【前提条件】
- 前期の全社給与総額: 1億円
- 当期の全社給与総額: 1億160万円(全社では160万円の増加:伸び率1.6%)
- 継続雇用者(おなじみメンバー)の前期給与: 7,000万円
- 継続雇用者の当期給与: 7,350万円(既存メンバーは350万円の増加:伸び率5.0%)
- 当期の法人税額(税額控除前): 500万円
- ※基本枠と賃上げの上乗せ枠のみで計算します。(教育訓練費の上乗せやくるみん・えるぼしの上乗せ無し)
① 中小企業向けを適用した場合
- 会社全体の伸び率が1.6%(1.5%以上2.5%未満)のため、基本の控除率15%が適用されます。
- 税額控除額の計算: 160万円(全体の増加額)× 15% = 24万円
② 中堅企業向けを適用した場合
- 継続雇用者の伸び率が5.0%(4%以上)のため、中堅企業向けの上乗せ要件をクリアし、控除率は25%(基本10%+上乗せ15%)になります。
- 税額控除額の計算: 160万円(全体の増加額)× 25% = 40万円
【結論】
同じように既存社員のために賃上げを行い、会社全体の給与も同じ160万円増えているのにもかかわらず、適用する制度を「中堅企業向け」に戦略的に切り替えるだけで、控除額が24万円から40万円へとアップし、16万円も余分に会社のキャッシュを残すことができるのです。
中堅企業向けを選択する際の実務上の注意点・デメリット
中小企業にとって非常に強力な武器になる「中堅企業向けの選択」ですが、実務をスムーズに進めるためには、いくつかの注意点を押さえておく必要があります。
注意点①:計算・集計の手間(事務負担)が格段に増える
中小企業向けの計算は比較的シンプルで、決算書の数字をベースに大まかな調整で済みます。
しかし、中堅企業向けの「継続雇用者」を判定するためには、前期と当期の給与台帳を1人ずつ突き合わせ、「1ヶ月も欠かさずに在籍し、かつ給与の支払があった人」だけを抽出して個別に集計し直さなければなりません。
さらに、雇用保険の被保険者であるかなど別の視点での確認も必要になります。
さらにさらに、期中で役員になった人や役員から従業員に戻った人の確認も必要になります。
従業員数が増えるほど、この集計の事務負担と計算ミスのリスクが高まります。
注意点②:全体の給与総額が「マイナス」なら、どのコースでも控除はゼロ
ここが最も勘違いしやすいポイントですが、中堅企業向けを選んでどれだけ継続雇用者の給与が増えていても、「会社全体の給与総額(雇用者給与)」が前期より1円も増えていない(マイナスである)場合は、税額控除額はゼロになります。
中堅企業向けは「判定基準を有利にするもの」であり、「全体の給与が減っていても減税できる魔法の制度」ではない点には注意が必要です。
注意点③:教育訓練費の増加割合によっては中小企業向けでいいかもしれない
教育訓練費の増加による上乗せは、中小企業向けは「前年比5%以上増かつ給与支給額の0.05%以上」で+10%の上乗せです。
中堅企業向けは「前年比10%以上増かつ給与支給額の0.05%以上」で+5%の上乗せと、中小企業向けの方が上乗せ率は高いです。
よって、教育訓練費が「前年比5%以上10%未満かつ給与支給額の0.05%以上」の場合、中小企業向けは10%上乗せで控除率は25%(基本15%+上乗せ10%)となり、上記シミュレーションの中堅企業向けと同じ控除率になります。
そうなると継続雇用者の確認が不要な中小企業向けの方が簡単ということになりますね。
注意点④:中小企業向けは繰越控除がある
中小企業向けには5年間の繰越控除があります。
赤字の年度や法人税が少ない年度に大幅賃上げを行う場合は、複数年度で考えると繰越控除が活用できる中小企業向けが有利になることが多いです。
一方、当期に十分な法人税があり20%枠を使い切れる企業であれば、繰越控除の有無よりも当期の控除額の大きさが重要になります。
【重要】令和8年度税制改正による大激変!この裏ワザが使える「タイムリミット」
実は、この「あえて中堅企業向けなどを選択する裏ワザ」ですが、いつでも、いつまでも使えるわけではありません。
令和8年度の税制改正大綱において、賃上げ促進税制全体の仕組みが「適正化・縮小」の方向へと大きく見直されることが決定したためです。
特に重要な変更点は以下の3つです。
① 大企業向けは「廃止」、中堅企業向けは「要件厳格化ののち廃止」へ
これまで中小企業も選択肢に入れることができた「大企業(全企業)向け」は、令和8年3月31日までに開始する事業年度をもって完全に廃止となります。
また、今回おすすめしている「中堅企業向け」の枠組みについても、以下のように要件が厳しく変更された上で、令和9年3月31日までに開始する事業年度をもって「廃止」となることが決まりました。
- 改正前の要件: 継続雇用者の給与増加率が「3%以上」で適用
- 改正後の要件: 継続雇用者の給与増加率が「4%以上」へ引き上げ(段階的な控除率体系※)
つまり、中小企業が「中堅企業向け」を選んで大逆転を狙えるのは、令和9年3月31日までに開始する決算期がラストチャンス(タイムリミット)となります。
※中堅企業向けが中小企業向けを逆転する継続雇用者の給与増加率は6%以上(控除率25%)になります。
② 「教育訓練費」による上乗せ措置が全区分で廃止
令和8年4月1日以降に開始する事業年度からは、中小企業向け・中堅企業向けを問わず、「教育訓練費を増やしたら控除率を10%上乗せする」という措置が全面的に廃止となります。
これにより、中小企業向けの最大控除率は45%から35%へ、中堅企業向けは35%から30%へとそれぞれ縮小します。(※くるみん・えるぼし等の子育て・女性活躍認定の上乗せは継続されます)
③ 中小企業向けの基本枠は「維持」
国からは「人材獲得競争の中で、防衛的な賃上げ(人を流出させないための賃上げ)に取り組む中小企業には配慮する」というメッセージが出されており、中小企業向けの基本枠(1.5%以上で15%控除、2.5%以上で30%控除)の枠組み自体は維持されます。
だからこそ、国の優遇が縮小・廃止に向かっている今だからこそ、「現行ルールで中堅企業向けを選択できる今のうちに、しっかりシミュレーションを行って最大の減税恩恵を受けておくこと」が、企業の財務戦略として極めて重要になります。
税理士が教える、損をしないための「3ステップ確認法」
経営者や社内の経理担当者の方が、決算期に「どちらの制度を使うべきか」迷わないための、実践的な3ステップをご紹介します。
ステップ1:まずは「社員の増減」があったかを確認する
この1年間を振り返り、「定年退職や自己都合退職で、給与が高かった人が辞めた」「中途採用やパートの人数に変動があった」という事実があるかどうかを確認します。
ステップ2:既存社員の「給与明細」をイメージする
会社全体としては採用・退職の影響でパッとしなくても、「ずっと支えてくれている正社員の基本給を底上げした」「決算賞与を既存メンバーに多く配った」という事実があるか確認します。
ステップ3:税理士に「両方のパターンで試算してほしい」と依頼する
ステップ1と2に少しでも当てはまるようであれば、決算の手続きに入る前に、顧問税理士へ次のように伝えてみてください。
「今期の賃上げ促進税制ですが、退職者等の影響があるので、『中小企業向け』と『中堅企業向け(継続雇用者ベース)』の両方でシミュレーションしてみていただけますか?」
税理士側も、通常は何もしなければ「中小企業だから中小企業向けで計算しよう」と自動的に処理してしまうことがあります。
経営者側からこのように一言投げかけるだけで、数十万円の節税チャンスを逃さずに済みます。
まとめ:制度の寿命が尽きる前に、自社に最適なシミュレーションを!
賃上げ促進税制は、「中小企業=中小企業向け」という固定観念にとらわれていると、本来受けられるはずだった大きな減税メリットをみすみす逃してしまうことになりかねない、非常に奥が深い制度です。
令和8年度税制改正によって、中堅企業向けの選択肢には明確な期限(令和9年3月31日開始事業年度まで)」が設定されました。
- 会社全体の給与はそれほど増えていないが、既存のコア社員は大切に引き上げた
- 人の入れ替わりがあり、全体の伸び率が鈍い
このような過渡期にある会社こそ、制度が廃止されてしまう前に、あえて「中堅企業向け」の制度をシミュレーションしてみる価値が十分にあります。
当事務所では、目まぐるしく変わる最新の税制改正トレンドを常にキャッチアップし、貴社にとって「最もキャッシュが残る選択肢はどれか」を、泥臭く複数のパターンでシミュレーションいたします。
「うちの会社の場合はどちらが有利になる?」「具体的な計算を任せたい」という経営者の方は、ぜひお気軽にご相談ください!


